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子どもたちの声Voice

2021.12.14

ヤングケアラーの視点から見る座談会

子どもの権利保障に向けた、一人一人違う子ども自身の声に向き合う仕組みづくりの必要性

参加者:氏名

  • 亀山 裕樹さん
  • 清崎 鈴乃さん
  • 平井 登威さん

(以下、記事中では敬称略)

「ヤングケアラー(Young Carer)」という言葉を耳にしたことがある読者も多いのではないでしょうか。2021年、厚生労働省・文部科学省のPTで支援策が取りまとまるなど、このヤングケアラーについて少しずつ課題認識が広がりはじめています。
今回は家族やきょうだいのケアをしてきて、現在学業の傍ら子ども・若者ケアラー当事者への支援などに取り組む亀山さま、清崎さま、平井さまの3名にお話を伺いました。家庭内でケアを抱えることに伴うしんどさを和らげるだけでなく、自分がありのままでいられ、当たり前に権利が保障される社会に向けて、当時 を振り返りながら現在の活動の紹介も含めお話をいただきました。以下ではその鼎談の様子の一部をご紹介します。
これまで抱えてきた難しさ、しんどさは多様

初めまして。本日ファシリテーターを務めます三菱UFJリサーチ&コンサルティングの鈴庄です。本日お集まりいただいたお三方に、まずは自己紹介をお願いできますか?

―亀山:亀山裕樹です。小学校高学年からひとり親の母のケアとし て、子育てが大変で精神的に不安定になったときに、声掛け・見守りといった精神面のサポートを担っていました。現在は「子ども・若者ケアラーの声を届けよ うプロジェクト 」や日本ケアラー連盟のスピーカーズバンク などをしています。またヤングケアラーや貧困問題に関して大学院で研究 をしています。


参考サイト
https://mainichi.jp/articles/20210826/k00/00m/040/377000c
https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/131/
亀山様執筆論文の一部



【写真 亀山さんから提供】子ども・若者ケアラーの声を届けようプロジェクト広報用活動写真(※清崎様、亀山様、平井様3名とも映っています)

―平井:平井登威です。関西大学の2年生で、現在は心の病を抱える親を持つ子どもの支援団体CoCoTELI の代表を務め、当事者支援をしています。僕の場合は、父親がうつ病で、中学校の時には暴言・暴力があり、情緒的ケアを担っており、結構きつかった時期がありました。

―清崎:清崎鈴乃です。京都の大学の4年生です。私は母子家庭 で、弟に中等度の知的障害と自閉症があったこと、その下に妹がいたことから、家族の家事、きょうだいの世話、特に弟の情緒面のケアやコミュニケーション、 身体的介助も担っていました。現在も実家で生活しているので、若者ケアラーと呼ばれるのかな、と思います。また、大学生・大学院生・専門学生の学生きょうだいさんの当事者ネットワークとして「かるがも~学生きょうだい児の会~ 」を運営しているほか、(一社)ケアラーアクションネットワーク協会で中高生のヤングケアラー向けの事業 のスタッフとして活動したり、ヤングケアラー以外でもいろいろボランティアに参加しています。

皆さんありがとうございます。お話のとおり、一口に「ヤングケ アラー」「子ども若者ケアラー」と言っても、抱えている状況や感じ方は一人一人かなり異なり、まさに“多様”ですね。本日はそれぞれのお話をもう少し詳しくお伺いできたらと思います。これまでケアをしながら暮らしてきた中で印象的なことはありましたか?

―亀山:高校2年~3年の頃は、母の精神的な不安が強い時期で大変だったなぁと 記憶しています。その中でも特に印象的だったのは、高校への送迎です。当時住んでいた場所から高校まで車で1時間半かかるほどの距離があったので母が車で 送迎をしてくれていました。ただ母は雨風や周囲の車のスピードに怯えながらなんとか運転をしている、という状況だったので、車に乗っている間は後部座席か ら「大丈夫だよ」「僕がついているよ」「信号を右に曲がって」といった声掛けを毎日片道1時間半行わなければならず、しんどかったですね。 ケア自体がしんどかったのもそうですが、一人になれる空間がなかったこともきつかったです。母も働けず家にいる中、一部屋についたてを立てて生活していま したが、お互いの生活音が丸聞こえで・・・。家からどこかに移動するのもお金がかかり、家の外で過ごせる場所もなく、家にいるしかない時期はつらかったで すね。自分一人でいられる空間・時間が欲しかったなぁと。

参考サイト
https://cocoteli.com/
https://karugamo-kyodai.jimdofree.com/
https://canjpn.jimdofree.com/%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%B1%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0/

当時、そういった状況を少しでも和らげるような場所や人はいましたか?

―亀山:自分にとっては学校に自習室という居場所があったのはありがたくて、リ ラックスできる場所でした。ただ自習室の仲間であっても、なかなかケアや家庭の事情について話すことはできなかったですね…。精神疾患について周囲の偏見 があると思いますし、何より周囲に話してしまうと、親が他の親と付き合いにくくなってしまうのでは、と思い相談できずにいました。母自身も孤立するのを嫌 がり周囲に精神疾患だと知られるのが嫌だったようで、「言わないでね」とお願いされていました。

―平井:僕は忘れられない日があります。父の情緒的ケアをしていた中学生のこ ろ、連日のケアに疲れ、つい「ホントにウザいんだけど」と漏らしてしまったときに父が暴れて包丁を向けてきて母が首を絞められて・・・さらにはそれを見た 祖母が自殺しようとして、「なんか終わっているな」と思ったことが忘れられません。世間に知られたくない、もし捕まってしまったら、などの思いから警察を 呼ぶこともできず、その日は夜も寝られず翌朝なんとか学校に行きましたが、教室で寝てしまい先生に怒られたときは「さすがにきついなぁ・・・」と。 だけど、亀山さんと同じく僕も人には言えていませんでした。中学校の先生がある日うつ病になったとき、クラスメイトがその先生のことを「ざまあみろ」と 言って馬鹿にしていて、「あ・・・自分の親のことは絶対バレてはいけない」と感じたのも、言えなかったことの理由の一つです。父親をはたから見ると、僕の出るサッカーの試合に見に来てくれる様子などから“いい親”に見えることもあるようで、友達から「平井の親って優しいよな」と声掛けされると、もし本当の ことを知られたら・・・と不安になりました。 ケアをする中で、モヤモヤすることはこれまでたくさんありましたが、自分の部屋でクッションを殴ったり、サッカーで身体を動かしたりして、気持ちをスッキ リさせるように頑張っていました。

―清崎:この瞬間というのは思いつきませんが、日々の積み重ね、というか・・・。周りの友人 と何かが違うという孤独感や寂しさのようなものは感じていたのかなと思います。外食に行っても弟がパニックを起こすとその店には二度と行けなくなってしま う、ショッピングモールに行っても子どもらしく遊ぶのではなく弟のケアをしなければいけない、ラーメンを食べるにしても、弟の機嫌を伺いながらゆっくり味 わうことは難しく、急いで食べ、弟の見守りにあたる、など外から見たらどこかに行くという行為は同じように見えるかもしれませんが、中身はかなり違いますよね・・・。 日々少しずつ、子どもの頃にできる経験が乏しくなっていった気がしていて、結果として周りの友人との“経験格差”のようなものができていたのかなぁと思い ます。休み明けに自分は友達に共有できる家族エピソードはないし、周りの家族のキラキラ感を聞かされてもわからないし、辛いし・・・友達と距離をとるよう になっていきました。

当時、そういった状況を少しでも和らげるような場所や人はいましたか?

―清崎:「これがやりたかったな」というものは思いつかなくて。やりたいことを言ってはいけないという考え方が染みついていたのかもしれません。私がやりたいと言ったらお金がかかってしまい、その分弟や妹にお金を分配できないし、私が弟のケアを出来なければケアをする負担が母や妹にかかってしまうわけで・・・。やりたい、と考えるときには、そんな考え方が最初に出てきてしまいますね。

―平井:僕は“家族みんなで笑顔で食卓を囲む”っていうのをやりたかったですね。あとは周りが家族旅行に行けているのを知って羨ましく思ったときもありました。今は大学生で一人暮らしをしているので、(家族以外と)旅行にも行こうと思えば行けるのですが、自分だけ行ってもいいんだろうか、自分だけ楽しんでいいんだろうかと思うときがあります。中学生のとき自分が友達と遊んできたりすると楽しそうな僕を見て、父親から暴言を浴びせられることもあって・・・今でも自分を大切にできない面はあるのかもしれないな、と思います。

ありがとうございます。抱えていた状況は三者三様ですが、結果としてなかなか周りに相談できない状況があったのですね。そして自分以外の人の利益を優先しなければ、という思いから、日常的に自分のしたいこと、楽しいことを我慢しなければいけない状況にあったというお話もいただきました。子どもの権利条約では、暴力などからの保護(第19条)や教育を受ける権利(第28条)、休み遊ぶ権利(第31条)があり、自分が安全に暮らせることも、学びに集中できることも、楽しく遊ぶことも権利として保障されています。さらにこの子どもの権利条約には4つの原則があり、その中に「意見表明権:自分に関係のあることについて自由に自分の意見を表す権利」という考え方があります。当時を振り返ってみて、こんな人がいたら自分のしたいことを言えていたのでは、自分の置かれた状況を話して、暮らしを改善できたのでは、と思うことはありますか?

自分自身の感じるモヤモヤを話せる人は?仕組みは?

―清崎:自立支援やアドボカシーといっ た個々のテーマに限ってみると、法制度も予算も変わりつつあります。しかし、今はそれぞれの行政機関で個別の事業や取組が断片的に進められています。大きな仕組みそのものが変わっているとは言えず、これからの課題だと思います。その意味で、僕自身は個々の事業の根っこに子どもの権利を保障する基本法が必要だと思っています。最近、子ども期に海外で暮らした人の話を聞く機会があり、その国では子どもの権利が言葉ではなく感覚やふるまいとして身についていると聞きました。その方は、「子どもの権利が重要だ」と言われていること自体、日本で子どもの権利が保障されていないことの表れだ、と。私も含めた多くの人が、権利意識が振る舞いとして身についている状態には、まだまだ遠いのだろうと思います。今の日本には子どもの権利を明文化する仕組みが必要だと感じますね。2016年に改正された児童福祉法には、第一条に「児童の権利に関す る条約の精神にのっとり・・・」とありますが、その後には受動的な文言が続きます。本来、子どもの権利条約には、受動的な権利も能動的な権利も書かれています。私は子どもを権利の主体ではなく、受動的な存在として見られ続けていることも問題だと思っています。客体としての権利や受動的な権利のみが保障されのではなく、能動的な権利も含めバランスよく保障できる仕組みが必要で、そういった理念を記した法律が必要だと思っています。

―亀山:僕は高校生のときにスクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーに話せたらよかったなと思います。実は大学入学後に学生相談のカウンセラーさんと出会い、そこで初めて自身のケアの話をしっかり聴いてもらって、楽になりました。周囲の友人には、今ある関係性にひびが入るのでは、と思ってしまうので、利害関係のない第三者に聞いてもらえたら良いなぁと思いますね。

―平井:僕も亀山さん同じく、日常でつながっていない人に話せるといいな、と思います。そのうえで僕は当事者同士だともっと話しやすいことがあると思っています。ちょうど去年、SNSで僕と似た家庭環境の人に出会い、その人との出会いで「人に話すと楽になる」と初めて感じました。 ちなみに僕の学校にはスクールカウンセラーがいましたが、あそこに行ったら負け、という意識があったり、どうせ少数派の僕の状況なんて分かってもらえないだろうとあきらめている気持ちもありました。 あと、親からの暴力や暴言、病気の話はかなり開示できるようになりましたが、経済的なことは話しにくいですね。

―亀山・清崎:わかります!

―亀山:経済的なことは話しづらいですよね。僕自身貧困の研究もしているのですが、ヤングケアラーの人たちが話す言葉は、ケアのための言葉は用意されているが、経済的なことに関する言葉は用意されていないんじゃないかなぁと。

なるほど、相談をして自分の思っていることを伝える、という発想自体持ちにくい人もい たのですね。閉ざされた状況にあるとき、子どもひとりの力だけで意見表明をすることは容易なことではなく、スクールカウンセラーやスクールソーシャルワー カー、当事者同士の支援など、誰かの支えが必要だという意見もありました。 では、最後にケアをする子どもが自分の思いを人に伝えられるような社会に向けて、ご意見お伺いできますか?皆さん現在、ヤングケアラーや子ども若者ケア ラーに関する取組を進められていらっしゃるようですので、その活動についても触れていただけると嬉しいです。

一人ずつ違う、子ども自身の声にきちんと向き合う仕組みの必要性

―清崎:大学生になるまでヤングケアラーという言葉を知らなかったのですが、大学生になってヤングケアラーのきょうだい児が集まれる当事者会があることを知りました。でも、同年代の学生同士で話せる感じではなく・・・、「じゃあないなら作ってしまおう!」と学生で同年代の人同士が繋がれる場として「かるがも~学生きょうだい児の会~」を作りました。ここでは、参加する人がその人らしくいられる場所になったら、と願っています。


【写真 清崎さんから提供】かるがも~学生きょうだい児の会~での清崎様のご活動の様子

―平井:清崎さんの①同年代、②当事者同士に加え、③ 第三者という3つの要素を重視してCoCoTELIという当事者コミュニティを作っています。このベースには、自分自身が同年代の当事者同士で第三者だった人と共感しあえたおかげで楽になったという強い経験があります。交流会は週1回開催していますが、毎週来ることが重要なのではなく、つらいときに頼れる場所として運営しようとしています。またビジネス化に向けて、話しやすさを作る雰囲気づくりは若い感覚を持つ学生が担い、専門性の担保は専門家が担うという若さ×専門性で事業化したいと思っています。

―亀山:僕はヤングケアラー分野を研究する方が運営しているイベ ントに出て話したことがあるのですが、子どもがいかにケアを続けられるかを模索しているように感じられました。そのとき「おや」と思い、僕自身が子どもが ケアから離れることも含めた選択肢の拡大を研究してもいいのではないか、と思い現在は大学院でヤングケアラーや貧困の問題を研究しています。子ども自身が ケアとの関わり方を自ら選べるように、制度のあり方、家族の生活の仕方を考えられるといいなと思います。

―平井:僕もケアをする当事者自身に目が向けられていないと感じますね。「ヤングケアラー」という言葉ができて良いこともありましたが、ヤングケアラーとしてではなく、その子どもを“一人の人”として見ることが重要だと思っています。 その子どもの気持ちややりたいことに向き合える仕組みが必要で、子ども自身に話を聴いて、その子どもが持っている問題に向き合ってほしいなぁと思います。

―清崎:ヤングケアラーを語るときに「障害者の家族はこうあるべ き」といった社会の中にある固定観念というか、よいと思われていることを押し付ける雰囲気があるように思います。その子どもがケアを担うことは義務ではな いはずだし、距離を置きたいときだってありますよね。障害者の家族としてその子どもを見るのではなく、その子どもがどんな人生を歩みたいかを見る社会にな るといいなと思います。“ヤングケアラー”の中には多様性があって、それぞれ求めていることやニーズが違っています。多様性をカバーできる様々な支援や制 度が準備される社会になればいいなと思います。 最後にもう一つ。これはヤングケアラーでない人も含めてですが、名前のない生きづらさを開示・発信できるようになったらよいと思っています。はっきりとし た言葉にはならないけど助けてほしいことがあるときに、その生きづらさを指す名前やラベルがなくても、助けを求める人に支援が届く社会に変わるべきと思っ ています。

“ヤングケアラー”の抱える状況が多様なことからも分かるように、子どもひとりひとりの多様性に向き合えるよう、子ども自身が何を願っているのかをきちんと向き合って聴くことが大切なのですね。個々の権利保障はもちろんのこと、子どもが意見を言える、意見表明の仕組みづくりが必要だと改めて感じました!本日はどうもありがとうございました。

編集後記

大きな社会課題の一つとして「ヤングケアラー」という言葉を目にすることが増えましたが、その当事者たちの置かれている状況は本当に様々でした。しんどい・つらいと言えないことが当たり前。やりたいことは我慢するのが当たり前。この当たり前から、子ども自身が自分らしくいられることが当たり前になるように、意見表明をはじめとする仕組みづくりが必要だと実感した鼎談でした。
なお、本座談会はフルオンラインで実施しております。(編集者:三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社)

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